【イベントレポート】特別企画展関連イベント 「山田貴敏トークイベント」
6月21日(土)、ミュージアム近辺の施設にて『ぼくの漫画の歴史 山田貴敏展 ~Dr.コトーと仲間たち~』関連イベント「山田貴敏トークイベント」を開催いたしました。
たくさんのご応募、ご参加ありがとうございました。
(左から)
のむらしんぼ先生、武村勇治先生、山田貴敏先生、黒丸先生、山本さとし先生、須本壮一先生
※登壇いただいた先生方は、のむらしんぼ先生を除いて山田貴敏先生のアシスタントを務めておられました。
トークの中で出た、山田先生の作品の制作秘話(⁈)や登壇者の先生方がアシスタントをされていたころの思い出などをいくつかご紹介します。
●デビュー当時
・初の連載作品『エクシス』の二色塗りを「赤と黒」ではなく「青と赤」で表現する技法を用いており、色彩へのこだわりが強くなってしまったそうです
・当時は月刊誌1本(月36ページ)、隔週1本、週刊1本の計3本の連載を抱えており、月200ページの原稿を描いていました。
●山田先生のもとで働いたアシスタント業務
・山田先生のアシスタントを経験した先生方は、編集部サイドから一人前のマンガ家としてお墨付きが貰えるほど様々なことを学べることができる現場だったようです。
・元アシスタントさんからみた山田先生の印象を問われた際には「面倒見がよく、大変お世話になった」と先生の人柄が垣間見えるエピソードもありました。
●作品作りで心がけていること
専門学校で学生にマンガ指導を行った際には、マンガはテンポ(リズム)が大切だと伝えました。また、物語の冒頭の掴みは、盛り上がりを持つ必要性があることも指摘していました。
●野球マンガ『エール!』誕生秘話
当時、サッカーマンガ(『おねがい』)を書いていたところ、原稿に空きが出たため、編集サイドから読み切りという形で仕事を引き受け、読者から好評だったため単行本1冊分まで連載が続けられました。
●『Dr.コト―診療所』秘話
・元々離島マンガをやると決めた経緯は「人間の絆や家族をテーマにした」作品を描きたかったことがきっかけになっています。
・掲載誌の『ヤングサンデー』は、グロテスクな作風が誌面を占めていたことから逆に人が亡くならないマンガにしようと逆転の発想を持ったそうです。実際に現場に取材に赴き、離島医療の実態を作品に反映させたようです。
・『Dr.コト―診療所』1巻で描かれているエピソードは、船の上で急性虫垂炎と腹膜炎を併発していた原健裕を手術する回を除いて、全てコト―(五島建助)のモデルとなった瀬戸上健二郎先生から取材で伺った実体験をもとにつくられたエピソードだと語っておられました。
・『Dr.コト―診療所』のヒロインとなった星野彩佳の直接的なモデルはおらず、苗字の「星野」は元中日ドラゴンズの星野仙一監督からで、名前の「彩佳」は親族から拝借されたそうです。当時の鹿児島県下甑島(古志木島のモデルになった島)には若い看護師さんがいなかったらしいです。
・ドラマ版『Dr.コト―診療所』で主演を務めた吉岡秀隆氏は、原作の単行本がボロボロになるまで読み込んで役作りに臨んでいたエピソードも語って下さいました。
・現在、休載中の『Dr.コト―診療所』は、連載再開に向けた準備をしていると明言されたため、再び雑誌の紙面に作品が掲載される日が近いかもしれません。
今回のトークイベントでは、デビュー当時から『Dr.コト―診療所』の作品秘話、アシスタントから見た山田先生、先生の人柄が窺えるエピソードなど盛りだくさんの内容となり、終始笑いが飛び交うイベントになりました。
また、トークの最後にはご来場いただいたお客様とのじゃんけん大会もあり、勝たれた方へプレゼントの贈呈もありました。
山田貴敏先生、ご登壇いただいた先生方、そしてご参加いただいた皆様、ありがとうございました!