【イベントレポート】特別企画展関連イベント「鈴木伸一先生トークイベント」

2024.07.19

7月7日(日)、豊島区立トキワ荘マンガミュージアムにて《特別企画展「鈴木伸一のアニメーションづくりは楽しい!!~トキワ荘からアニメの世界へ~」関連イベント「鈴木伸一先生トークイベント」を開催いたしました。
たくさんのご応募、ご参加ありがとうございました。

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鈴木先生からお話しいただいた中からいくつかご紹介します。

●子どもの頃に読んだ作品
少年時代は、田河水泡先生の『のらくろ』や島田啓三先生の『冒険ダン吉』といった作品を読まれていました。はじめて読んだ手塚治虫作品は、友達から借りた『ジャングル魔境』だったそうです。

トキワ荘での暮らし
『まんが道』や『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』などに描かれている一枚の布団にくるまって就寝するエピソードは本当の話で、今でも布団にくるまりながら眠っているそうです。
トキワ荘時代に先生は、アメリカのマンガ家ソール・スタインベルクの『パスポート』などの1コママンガを読んでマンガの勉強に励まれたとのことです。マンガ史の観点からも、海外のマンガ作品が日本のマンガ家に影響を及ぼしていることがわかるエピソードです。
その後、おとぎプロに入社することになりトキワ荘を離れることになった際は、出発前日におとぎプロのあった鎌倉に行くことをトキワ荘の面々に伝えたそうです。

おとぎプロ時代
先生初監督の「プラス50000年」は進化論の話がきっかけで製作が始まり、それ以外にも下関の会社での仕事(ポスター製作やトーレス作業など)が、作品を製作する上で役に立ったと語られました。何よりも横山隆一先生から信頼されて作品の製作を任されたことが嬉しかったそうです。
「ひょうたんすずめ」までは絵コンテがなかったため、横山先生の指示のもと、原画や動画の作業を行われたそうですが、当時、このやり方が一般的なアニメーションの取り組み方だと先生は思っていたそうです。
先生をはじめとするおとぎプロのアニメーターたちは、横山先生の自宅にプールを作るため、設計からコンクリートでセメントする作業まで自分たちで行ったそうです。その際、横山先生が描かれたプールの壁面の魚の絵が、水を入れたら消えてしまったとの裏話も伺いました。
おとぎプロ在籍時には、先生が発起人で草野球チーム(おとぎモンスターズ)を作ったそうです。何度かトキワ荘の先生方による草野球チーム(エラーズ)と対戦することもありましたが、エラーズには実業団でも野球経験のあった寺田ヒロオ先生が在籍していたことから太刀打ち出来なかったとのこと。また石ノ森先生は下駄やサンダルを履いた状態でプレーしていたことや赤塚先生は素足で試合にのぞんでいたことなど笑いながら話してくださいました。

スタジオゼロ時代
「ゼロ族タイムス」は、トキワ荘の先生方の身近な出来事を紹介する記事するもので、昭和42年(1967年)に発行されましたが、「創刊号しか発行していないんじゃないかな」とのことです。この「ゼロ族タイムス」の編集部だった吉良氏は、後にG9+1で鈴木先生とともに活躍された吉良敬三氏とのこと。
講談社で発行していた雑誌『ディズニーランド』は、先生によるオリジナルのディズニー作品を製作していましたが、下書きの段階で何度も出版社から直しの指示があり、本家のディズニーのアニメーターによる手直しを提出してもまたNGを出されてしまったそうです。鈴木先生は「ウォルト・ディズニーが描いたものと日本の出版社が描いたものは若干違っていたのではないか」と推測されています。どちらが本物かわからくなってしまったため、途中で作品の製作を辞めてしまうことになったそうです。

今回のトークイベントでも少年期からスタジオゼロの時代まで先生だからこその貴重なお話の数々を笑いを交えながら話してくださったお姿が印象的でした。